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第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。

 はや2カ月ほど前の話になりますが、昨年刊行した拙著『「つなみ」の子どもたち』と、その半年前に企画・取材・構成で出した月刊文藝春秋8月号臨時増刊『つなみ 被災地の子ども80人の作文集』で、標記のとおり第43回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)を受賞しました。作文を書いてくれた東北の子どもたち(被災地の子どもたち)との共同受賞で、この賞では初の扱いでした。同時受賞は中日新聞社の記者、増田俊也氏の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でした。
 正直なところ、いまでもあまり自分に関しては実感がわかないのですが、共同受賞で東北の子どもたちが栄えある賞が贈られたことは本当にうれしいです。
 もともと単著の作品を書こうとしていたわけではなく、先にあったのは東北の子どもたちの作文集で、その取材を進める中で、もっと深く話を聞きたいと思った家族があり、それがきっかけで単著にも進んだわけです。その意味で、かりに受賞などということになれば、一義的には作文を書いてくれた子どもたちに与えられるべきと思っていたのですが、実際80人以上の子どもたちも共同受賞という形になった。とても望ましい、まさに本望のかたちでした。
 せっかくなので、すこし私的な背景を書いておきます。

 3月上旬に日本文学振興会の方から『「つなみ」の子どもたち』が同賞の候補に入ったと電話があったとき、「ええっ?」と言って地下鉄の階段で転げ落ちそうになりました。驚き半分、うれしさ半分、それに加えてあったのは、自分の作品が果たしてその水準に達していただろうかという客観的な視点。また、地下鉄に乗っているうちに、やや沸騰気味の頭に芽生えてきたのは、(おそらくはないだろうとは思うが)かりに受賞したとして、自分はその資格があるのだろうか、という疑問でした。そう思ったのは、本作のテーマゆえのことです。
 すでに歴史や過去となった事象や人物を掘り起こし、新たな事実から描くという手法は同賞における作品では王道です。ですが、私が扱ったのは2011年3月11日に発生した東日本大震災とその被災した人たちで、現地はまだ復興という言葉にはほど遠い状況。拙著はそうしたリアルタイムに再生へと向かおうとしている人、家族を描いたものですが、まだ途上の段階に取材対象者がいるのに、果たして栄えある賞を受賞してよいのだろうか──。そう考えたのです。
 もう一つ言えば、かりに受賞したということを現地の人たちがどう受け取るか、という疑問もありました。描かせてもらった家族は本当にいい人ばかりでしたが、自分たちが描かれたにもかかわらず、書き手ばかり褒められるのは、どうなのか──。そう思われても決して否定できなかったからです。もちろんそんな方がいたわけでもないし、それはこちらの勝手な邪推でしかありませんが、おかしなことでよい関係を失いたくないという思いはありました。

 3月下旬から4月上旬にかけて、拙著で描いた東北の9家族25人と一緒にスイスに行く機会があったのですが(本当に楽しく、よい旅でした!)、そこでも大宅賞候補になったことは一言も口にしませんでした。本で描いたのは彼らのことであるにしても、賞自体は直接関係のないことです。であるなら、語ってもしょうがない。
 また、計4作品の候補作が並んだ時点で、「ああ、これは自分はないな」と思っていたのも事実です。増田さんの作品は昨年からノンフィクションでは飛び抜けて売れており、また本好きの友人も「血の涙を流したから読め」というくらいの高い評判。ほぼ増田さんの作で間違いないだろうと思えた。
 そんなこともあり、大宅賞選考日には京都大学准教授(当時)の中野剛志さんとある編集者との飲み会を入れており、日にちの変更もしていなかったほどでした。まず自分はないだろうという気持ちがあり、その裏側には「かりに受賞してしまったら、どうしようか」という気持ちがありました。
 ところが、その飲み会の少し前に日本文学振興会の方がかけてきた電話は、思わぬ言い方をしたのでした。
「森さん、おめでとうございます! 大宅賞受賞が決まりました! ただ、ちょっと。ちょっと待ってください。今回はすこし特殊なかたちです」
 ──えっ、なんでしょうか?(ドキドキ)
「今回、候補としては『「つなみ」の子どもたち』でした。ですが、選考委員会で作文集の『つなみ』も一緒にしてはどうかという話があがり、そこで全員一致で<森健と被災地の子どもたち>という共同受賞というかたちになったんです。この賞では異例のことで初めての形式です。これでお受けいただけますか?」
 こちらこそ、ぎゃーっ!と叫びたい気持ちでした。
 想定外のことでしたが、東北の子どもたちが一緒に受賞ということで、まさに本望とも言えるかたちになった。大きな声で振興会の方に「それはもうよろこんで!」と返し、近くにいた担当編集者と喜んだのでした。

 まもなく足を運んだ選考発表の会見では、選考委員の猪瀬直樹氏の弁によれば、4作品のうち、最初に拙著が俎上にあがり、第一候補となったとのことでした。
 震災後の家族を描いた作品として抑制的な描写でよいという意見が占めたと。ただ、一方で、本文に引いたような子どもの作文をもっと読みたい気持ちも起きるのに、引用数が限られており、その点はあまりに抑制的すぎるのではないか、という意見もあったと。その議論の中、(今度は猪瀬直樹氏に代わって関川夏央氏が「猪瀬さんじゃ言いにくいでしょ」と説明したところによると)猪瀬氏がかばんから作文集『つなみ』を取り出して、「せっかくだったら、これも加えてはどうだろう」と助言してくれたとのこと。この震災を伝える意味として、子どもの生の声=作文があって、単著も生きる、要するに両者はセットで考えるべきではないか、と話が進んだとのことでした。

 その後聞いた話で、選考段階で拙著に関する意見で印象深いものもありました。
 いわゆる大宅賞的なノンフィクションの王道は過去の話の掘り起こしが主流。過去の話を掘り返していくのは、書き手がある仮説をもち、そこに対して取材を進めていくことで意外な事実を発見していくのが妙味なのだが、見方を変えれば、それはある種の予定調和でもある。それに対し、本作はまさにリアルタイムの現在を扱っていること、そして、リアルタイムであるがゆえに、先の見えない(どういう話に転がるかわからない)取材をやり通したという点でよかったという指摘でした。
 それは、自分としてもそう指摘されて「そういえばそうだったな」と腑に落ちるところがありました。ある程度の予測(落とし所)をもって取材をして(悪く言うと予定調和になる)ノンフィクションと違い、本作は対象者の状況(物理的、心理的)が転々と変わる様子を追いながら原稿にしていく。それは災害時ならではのドキュメントだったわけですが、こういう取り組みは近年なかったと。それは聞いた自分のほうが、なるほどと思えた視点でした。

 あの震災は全メディアが全精力を傾けた事象でした。人も物量も投入し、文字通り必死に取材活動を行った。書籍だけでも震災以来1年間で数百冊が刊行されました。その中で、拙著と子どもたちの作文集が栄えある賞に選ばれたのは、本当に光栄です。
 しかも、今回主催の日本文学振興会は太っ腹の対応をしてくれました。
 東京での通常の贈賞式は6月22日(金)帝国ホテルで18時からですが、もうひとつ東北の子どもたちのために仙台でも開いてくれることになったのです。そちらは7月8日(日)ウェスティンホテル仙台で14時から。
 すでに多くのお母さんやお父さんから「何着ていけばいいんですか?」とか「おばあちゃんなど、家族全員で行っていいんかい?」と問い合わせがあります。何でもいいんじゃないですかね、みんなが楽しめれば。

 作文集『つなみ』が発行されたのは、昨年6月28日でした。あれから1年。
 みんなに会えるのが楽しみです。みんなが晴れがましい顔をしていればいいなと思っています。

 それにあわせるように、作文集『つなみ』はムックではなく、あらためて書籍になりました。
 福島編が入り、30人の福島の子どもたちの作文などがあらたに収録されたものです。
 この件、別投稿で記載します。
『つなみ 被災地の子どもたちの作文集』(完全版)

第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。” への1件のフィードバック

  1. はじめまして
    本のご紹介をありがとうございます。
    購入させてください。
    どのような手続きになりますか?
    よろしくお願いいたします。
    久住規子

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