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新刊「つなみ 5年後の子どもたちの作文集」

2016年03月06日 · 未分類

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 こんにちは。昨年末より進めていたムックが完成しました。
『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』(文藝春秋4月臨時増刊号)です。
 今週金曜で「あの日」から5年です。5年前に宮城、岩手、4年前に福島双葉郡の子たちに自分の体験を作文に書いてもらって作文集をつくったのですが、再度あれからの5年の日々を書いてもらえないか打診したところ、ちょうど半数、57人の子が書いてくれました。今回はもちろん災後の日々の話です。
 当時まだ文字が書けずに絵だけ描いてくれた子が立派な作文を書いたり、高校生だった子が社会人となって働きだしたり、変化はさまざまです。でも、あの震災が彼らの生活や将来の目標などすべてのベースになっていることは如実に作文に出ています。
 たとえな自分の将来。ある子は看護師、ある子は心理カウンセラー、ある子は保育士、ある子は水産加工の開発、ある子は海外に出て防災の情報発信……。思わず「そうだよな……」と頷いてしまう作文が並んでいます。
 前回同様、今回も多くの原稿用紙を写真でそのままお見せしています。それを見ると、さっぱり文字に進歩がなく、「お前、やっぱり勉強してなかったろ!」というのも丸わかりです。ですが、それも含めて、彼らの言葉がダイレクトに入ってきます。写真から誰もがこの5年間で成長しているのがわかりますが、文章を読むことで彼らがあの震災をどう捉え、どう向き合い、今後どうしていきたいかが見えてきます。
 私はそんな彼らの背景となる地域ごとのレポートや、彼らの作文では表現しきれなかった(書かなかった)ことなどに触れています。
 ぜひお手にとって、読んでみてください。5年の成長もわかりますし、そこで記されている厳しさや希望もまたわかると思います。
 よろしくお願いいたします。
※)kindle版もあります!

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新刊『小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』

2016年01月28日 · 自著

 

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小倉昌男 祈りと経営


 数日過ぎてのお知らせです。1/25(月)、昨夏受賞した第22回「小学館ノンフィクション大賞」の作品『小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの』がようやく発売されました。
 昨夏の本HPへの投稿でいくつか書きましたが、本書は自分にとっては初めての書籍での評伝です。
 宅急便の父と言われる小倉昌男さんのことを書きました。ですが、ビジネスのことはほとんど書いていません。テーマとしたのは、ヤマト福祉財団という障害者の自立支援の財団をなぜ私財を投じてつくったのか、です。
 単純な疑問から関係者を訪ねていったところ、話はまったく予想外の方向に進んでいきました。そして、多くの人にも関係する問題と結び付いていることに気づきました。
 その先は詳しくは語れません。ぜひ読んでいただけると幸いです。
 同賞の歴史で初めて選考委員全員が満点をつけてくれたのがこの作品だそうです。それは当方にとって光栄な話です。ですが、同時にこの本のテーマが多くの家庭に関係しているからではないかと思っています。
 ぜひご一読くださいますよう、よろしくお願いいたします。

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第22回小学館ノンフィクション大賞の大賞を受賞しました。

2015年08月13日 · 未分類

 すっかり放置状態にしていたら、2年あまり経っていました。
 先日、7月31日のことですが、下記のとおり、第22回小学館ノンフィクション大賞の大賞を受賞しました。

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毎日新聞8月1日


 この賞は未発表原稿が対象なので、まだ刊行されていませんが、応募時点でのタイトルは「小倉昌男 祈りと経営」。自分にとって書籍原稿としては初の評伝で、ヤマト運輸の経営者、故小倉昌男さんを書きました。

 受賞決定の連絡のあと、選考会が行われていたホテルオークラに挨拶に行きました。
 着いて早々に事務局の方から告げられたのは、同賞の歴史でも記憶にないくらい、つまり初めてに近いほど選考は意見が一致し、5人の選考委員の「満場一致」だったのとのこと。5人5点、25点満点で25点。
 椎名誠さんは小倉昌男さんは知らなかったようですが、「内容も構成もほんとうによかったのに加え、ここまで意見が一致した選考会はない」と。二宮清純さんからは「名経営者の知られざる思いに心がふるえた」と真顔で言われたうえに抱きつかれ(「え?」)、平松洋子さんには「日本の寡黙で優しい父親像に打たれ、私も自分の父親を思い出した」と涙まじりに言われて慌てました。帰り際の関川夏央さんからは「いい取材で感動した!」、高山文彦さんからは「うん、圧倒的だった。最初から安心して読めて、最後までおもしろかった」との評をいただきました。
 と記していくと、自画自賛ばかりで鼻白む気分になってしまうかと想像しますが(すみません)、とはいえ、この取材は書いた本人から言わせてもらっても、本当にいい取材だったと言えます。
 テーマはシンプルで、「なぜ小倉昌男は私財を障害者福祉につぎ込んだのか」という謎です。

 このちょっとした疑問から取材をはじめ、驚きや新たな疑問が生まれ、さらに進める。日本初の宅配インフラを全国につくりあげ、各種規制と闘って名経営者と呼ばれた小倉昌男さんですが、彼は自身の内面的な思いを公に語ることはありませんでした。例外だったのは還暦の頃からはじめた俳句で、そんな句作の仲にはそっと思いを忍ばせることもありました。
 取材を進める中で、彼が抱えていたものが次第に浮かびあがり、強く祈りを捧げるような日々だったことがわかっていきました。この取材では僕自身が驚きの連続で、センシティブな話に触れざるをえない部分もありましたが、同時に、書いて意味がある、伝える意義があると確信できた取材でした。そして、いま受賞の理由を考えると、そんな複雑な背景と秘めやかな思いがあったからこそ、強い何かを伝えられる作品にはなったのだろうと思いました。

 協力していただいた多くの人にもいい挨拶ができそうです。
 書籍としての刊行は11月頃を目指す予定ですが、もし書店に並んだ時にはぜひ読んでいただきたいと思っています。
 また時期が来たら、お知らせいたします。
http://mainichi.jp/select/news/20150801k0000m040050000c.html

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新刊『反動世代』

2013年07月13日 · 未分類, 自著

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 新刊の案内です。2週間前になりますが、6月28日に『反動世代』という本を上梓しました。
 中野剛志、三橋貴明、柴山桂太、施光恒の4氏のインタビューをもとに構成したものです。反TPP、反グローバリズムなどの主張を軸に、経済評論で多くの著書をもつ4人で、よくご存知の方も多いでしょう。『TPP亡国論』でベストセラーを出した経産省官僚である中野氏は過去に何度か取材でお世話になったことがあるのですが、著書でも取材でも、彼の視点の確かさやロジックの力には驚きや共感を覚えていました。
 一方で、彼の周辺には専門領域は異なるものの、やはり反TPP、反グローバリズムという点で一致する同士的な仲間がいることにも気づいていました。その中には、広くファンをもつ三橋氏のような方もいれば、学者然とした柴山氏や施氏などもいる。
 彼らの本を読んでみると、おもしろいことに気がつきました。
 本のつくりはわりと過激な言葉が惹句として並び、「売国奴」など、やや右派的な層から受けそうな言葉もある。また、ネット上でもいわゆる「保守」という立場の人からの支持もある。外形的に見ると、政治的思想は保守と映ります。
 ところが、彼らの経済に関する主張自体は、反TPP、反グローバリズムなど、実際には左派層、リベラル層に親和性が強い(世界で反グローバリズムを掲げている団体はおよそ左派やリベラルが中心なのは、あえて指摘するまでもないでしょう)。
 たとえば、政治思想の施氏などは「外国人参政権に反対」のほか、中野氏が「排外主義者(笑)」とからかうほど保守的な言論を産経新聞などで書いています。ところが、なぜ彼がそうした考えをもつのかという根拠を著書で読むと、単純で旧弊なものから発しているわけではないことがわかる。
 というのは、自由経済や民主主義といった政治経済のルールや概念はいま世界で基盤となっていますが、歴史的によく考えてみると、それは欧米というローカルな文化がベースであって、東アジアなどのローカルな文化や伝統とイコールではない(ダメだと言っているわけではない)。多様性というか、多極的な文化や伝統を重んじる視点に立つとき、いまのルールや概念自体もまず疑ってみるところから、施氏の「リベラルな政治思想」の関心がはじまっている。
 東西冷戦が終わって20年あまり経つなかで、世界のパワーバランスや経済の流れは激変しました。そうした中で、「保守」「リベラル」という言い方もかなりぶれているのが実態です。要するに、古いフレームで「保守」「リベラル」を当てはめようとすると、問題のあり方を誤認してしまいかねない危険もある。
 そういう複雑な状況の中で、今回の4人の言論活動は非常にユニークだと映りました。
 保守でもあり、リベラルでもある。また、そうしたフレーム(立ち位置)の問題より重要なことも彼らは訴えてもいる。
 そこで、本書の狙いは、現状の政治や経済に関する4人の大まかな主張を確認するとともに、そもそもなぜそういう考えをもつに至ったか、という思想の基盤がつくられる過程の読み解きに力点を置くことにしました。
 著書はそれぞれ出している方たちなので、本格的な主張や言論を読みたい方はそれぞれの著書を読んでいただいたほうがいいでしょう。話者がいる本ではどうしても話は散漫になるからです。でも、良さもあります。「聞かれたから答える」、言い換えると「聞かれなければ話さない」部分があるからです。
 すでに彼ら4人の著書を読んでいる方は少なくないと思いますが、ぜひそうした部分を読んでもらえたらと思っています。

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新刊『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』(河出文庫)

2012年11月07日 · 未分類, 自著

ビッグデータ社会の希望と憂鬱
 こんにちは。ブログらしいブログも書かずに時間が経ってしまいましたが、また新刊の案内です。今度は久しぶりにインターネット関連です。というか、正確に言えば、2005年に出した『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか』(アスペクト)の文庫版で、『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』といいます。
 とはいえ、ただ文庫化して改題したわけではありません。
 情報技術の世界で7年も経てば、技術は大きく進化します。ある意味、それは立派な歴史です。であれば、それを残しつつ、2012年現在出てきている事象を捉えるべきでしょう。
 そこで、本書では『〜幸せにしたか』の10章のうち、計8章で現在顕在化しつつある事象や問題を新たに追記することにしました。いま、そして今後の情報技術と社会を見据えたとき、もっとも大きな課題となるのは、個々人から発生するデータの扱いでしょう。このデータの問題こそ、当初の『〜幸せにしたか』で遡上にあげていたものでした。
 こうしてウェブにアクセスしている最中にも、そしてスマートフォンを持参する間も、あるいは電車や車で移動したり、店舗で買い物や飲食をするときにも、データは発生し、収集されています。多くは意識せずにセンサーなどで収集されているものですが、このデータは膨大な量になっています。そして、それを企業は商用利用に役立てようとしています。
 いまそうした技術は一括りに「ビッグデータ」と呼ばれています。
 ビッグデータとは、非構造化されている膨大なデータ群(つまり収集はされたものの、そこから適切な意味を見出されていない状態のデータ)を組み合わせてみることで、新たな知見を得る技術です。スーパーやコンビニで買い物をするとき、従来はレジのチェッカーが見た目で「男性」「20代」などとレジに指定して、買い物をしていたことでマーケティングデータとしていました。でも、各種会員カードをそこに挟めば、正確に「26歳」「男性」「住所」などがわかるうえ、その商品をその人が年間(あるいは月間)どれくらい購入しているかから、ふだん何時頃買い物をし、具体的な商品(類似商品と比べて、どれを購入しているか、購入額はどれほどか)として何を購入しているかがわかります。そうした詳細なデータがわかれば、その人が来店する少し前に、携帯電話のメールにクーポンなどを送信し、それによって「釣られ買い」などで売上を伸ばすことも可能です。こうした分析および戦略立案、実行を可能にするのが、ビッグデータの技術です。
 小売などで言えば、割引やクーポンなどで利用者に一定のメリットをもたらしてくれるものが多いのが特徴です(多くのウェブの無料サービスも同様です)。
 一方で、こうして収集されていくデータはどのように扱われていくのかはまだわかりません。現実に、スマートフォンのアプリには野放図に通話履歴や通話先、電話帳情報などを野放図に収集する悪質なものもあります。
 さらに言えば、収集する側だけではなく、積極的に自分の情報を出す人も一般的です。いまやTwitterやFacebookをはじめとしたソーシャルメディアで、きわめてプライベートなことも投稿する人も少なくありません。そう考えれば、今後プライバシーや個人情報といった概念も変わっていく可能性もあります。そして、再度ビジネスの側を見れば、そんなあまたの「呟き」さえ、膨大に収集して解析することで、株価の予想などに利用・商用化されつつあります。
 今回河出書房新社で文庫化する『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』では、そうしたビッグデータ技術の広がり、到来を見据えたうえで、社会や個人はどう変化していくのかを論じています。情報技術の利便性という強い力は、身体的な障害がある人に力を与えたり、情報から隔絶された弱者に対しても知識を与えたりと、メリットは多々あります(そして私自身、この技術の利便性に浴しています)。ただ、そのトレードオフとして見過ごしがちで失われていくものもあります。それを考えてみたのが本書です。
 ぜひお読みいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
 

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『つなみ 被災地の子どもたちの作文集(完全版)』刊行しました。

2012年06月16日 · メディア, 自著

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 6月13日(水)、新刊が出ました。
『つなみ 被災地の子どもたちの作文集(完全版)』
 昨年6月に出た月刊文藝春秋8月号臨時増刊『つなみ 被災地の子どもたち80人の作文集』を基にした「完全版」です。

 完全版とは何ぞや、前に出たものと何が違うのか、という声があると思うので、先に答えておきます。
 刊行理由は2つありますが、一番大きいのは、昨年出した作文集『つなみ』は「雑誌」(ムック)の扱いだったため、もう書店に置いてもらうことができない時期だったためです。
 ムックは書店に置ける時期に限りがあり、ムックの『つなみ』がもうその時期が限界でした。にもかかわらず、いまも同書への注文は寄せられている。そこで早い時期から、「書籍」として出し直さねばという話はありました。書籍であれば書店で置ける時期に問題はありませんし、注文すれば日本全国手に入れることができます(ムック『つなみ』では近隣の書店で、なかなか入手できないという声が大変多かったのです)。

 もう一つの理由は、新たに「福島編」を入れたことです。
 昨年の震災後、この作文取材では福島はあえて外していました。岩手と宮城は津波による被害が目に見えるかたちで、つまり、子どもにもわかるかたちで被害がありましたが、福島では(もちろん津波と地震の被害もあったのは承知していましたが)、避難した多くの理由はむしろ原発事故のほうが大きいものでした。原子力発電所という高度な仕組みに放射線という目に見えない存在。それを概念的に理解するのは子どもには難しいだろうと思えましたし、その時点で「なぜ」自分たちが避難しているのを理解し、文字にするのはなおさら困難だろうとも思いました。そこで福島に関しては時間が経ってからやろうと思っていたのです。
 そして、今年の年明けすぐから、まもなく1年という時期を見越して、双葉郡の5町の子どもたちに依頼して回りました。その結果、2月から3月にかけて30人が作文を寄せてくれた。その30人の作文を、この完全版に収録することができました。
 それをもって、岩手、宮城、福島、東北3県の子どもたちの作文は計115本に達しました。
 それを再編集したのが、本書になるわけです。

 もう少し続けます。

 今回の「まえがき」にも書いたのですが、昨年出したムック『つなみ』は本当に反響の大きな作品でした。
 テレビやラジオ、新聞などメディアの取り上げも大変多かったばかりか、防災イベント、朗読会、クラスや学校での課題図書、文化祭での活用、学級通信などへの引用、など学校での使用許可の依頼が数百件と本当に大変な数になりました。私宛ての依頼だけでも数十あり、日本国内の読者、はてはイギリス、フランス、ドイツ、オーストラリアなど海外の読者からも翻訳の申し出がありました。また、読んだ読者から、名前の出ていた学校と著者の子ども宛てに感想文や贈り物が贈られた例も数十単位でありました。加えて言えば、防災副読本や教科書のたぐいへの引用許可すら数点ありました。
 要は、単に部数が多く出たというような話ではなく、読者からの反応や反響がダイレクトに表れたという稀な作品だったのです。それは大人ももちろんではあるのですが、それ以上に、子どもの読者からのものが鮮烈でした。

 当時、作文を書いた子どもの中には、「津波のすごさを知らない日本の子どもが読んで、わかってもらえたら」と語っていた子が何人かいました。まさにそのとおりに、多くの同年代の他の地域の子どもたちが読んで胸を動かされていたのです。途中、そういう言葉を聞いたときに、「あぁ、そんなことになったら、いいだろうなぁ」などと理想的に考えていたのですが、それは夢ではなく、現実に起きていたのです。
 現に、小島慶子さんのラジオ番組に出させていただいたとき、小島さんが「これ、うちの子が書いたんですよ」と目を丸くして感想文を見せてくれたのですが、それも親に言われたものではなく、自分の意志で書いたものでした。企画、取材にあたった人間にとって、これは本当に驚きであり、喜びでした。

 おそらくそこまで大きな力になった一因には、原稿用紙そのままの書き文字が大きかったのではないかと思っています。
 もともと人は自分と同年代の人は意識しがちなものです。子どもも同様で、いろんな年齢の子どもがいたとしても一番気になったり、仲良くなるのは同い年の子どもです。この作文集には、いろんな学年の子どもが体験談を寄せてくれましたが、そこに自分と同年代の子が書いていれば、きっと気になったはずです。お世辞にもうまいとは言えない書き文字で、汚くなった原稿用紙に率直に自身の体験や思いを載せた。読者となった子どもたちは、その原稿用紙を目にしたときに、テレビや活字などメディアとは別種の強烈なリアリティを感じたと思うのです。まるでクラスで横にいるクラスメートが書いたような作文が生々しい言葉で綴られている。そこに激しい津波映像などとは違う共感、反応をもったのではないかと思うのです。
 もちろん活字になった作文にも胸を動かすものも多々あります。その上で、やはり、書き文字という視覚的なインパクト、共感はもっと強かったのではないかと。
 その意味で、本書はぜひ1年が過ぎた今も強い力を持っていますし、長く読み継がれるだけの意義と価値をもっているのだと思います。

 昨年すでにムックを購入していただいた方には福島編がないことを申し訳なく思いますし、再び「ぜひ購入を」とは正直言いにくいです。
 ですが、ぜひ書店で足を運ばれた際には、この福島編にぜひ目を通していただければと思っています。突然故郷を離れることになり、そのまま長期間帰れなくなってしまった、かの地の子どもたち。彼らが何を体験し、何を思っているのか。ぜひ彼らの書き文字の原稿用紙からじっくり読んでもらえたらと思います。そして彼らが「書いた」ことだけでなく、彼らが「書かなかった」ことにも思いを馳せていただければと思います。そこに考えを広げたときに、彼らの苦しみがなおさら立ち上がってくると思います。

 著者としては、拙著『「つなみ」の子どもたち』もお読みいただけたらなぁとは思いますが、子どもたちの作文集は今回「福島編」という大きな追加もあり(他にも、福島レポート、スイスツアーレポートなども追加)、ぜひお手にとって読んでいただけたらと思っています。

 よろしくお願いいたします。

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第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。

2012年06月15日 · メディア, 自著

 はや2カ月ほど前の話になりますが、昨年刊行した拙著『「つなみ」の子どもたち』と、その半年前に企画・取材・構成で出した月刊文藝春秋8月号臨時増刊『つなみ 被災地の子ども80人の作文集』で、標記のとおり第43回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)を受賞しました。作文を書いてくれた東北の子どもたち(被災地の子どもたち)との共同受賞で、この賞では初の扱いでした。同時受賞は中日新聞社の記者、増田俊也氏の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でした。
 正直なところ、いまでもあまり自分に関しては実感がわかないのですが、共同受賞で東北の子どもたちが栄えある賞が贈られたことは本当にうれしいです。
 もともと単著の作品を書こうとしていたわけではなく、先にあったのは東北の子どもたちの作文集で、その取材を進める中で、もっと深く話を聞きたいと思った家族があり、それがきっかけで単著にも進んだわけです。その意味で、かりに受賞などということになれば、一義的には作文を書いてくれた子どもたちに与えられるべきと思っていたのですが、実際80人以上の子どもたちも共同受賞という形になった。とても望ましい、まさに本望のかたちでした。
 せっかくなので、すこし私的な背景を書いておきます。

 3月上旬に日本文学振興会の方から『「つなみ」の子どもたち』が同賞の候補に入ったと電話があったとき、「ええっ?」と言って地下鉄の階段で転げ落ちそうになりました。驚き半分、うれしさ半分、それに加えてあったのは、自分の作品が果たしてその水準に達していただろうかという客観的な視点。また、地下鉄に乗っているうちに、やや沸騰気味の頭に芽生えてきたのは、(おそらくはないだろうとは思うが)かりに受賞したとして、自分はその資格があるのだろうか、という疑問でした。そう思ったのは、本作のテーマゆえのことです。
 すでに歴史や過去となった事象や人物を掘り起こし、新たな事実から描くという手法は同賞における作品では王道です。ですが、私が扱ったのは2011年3月11日に発生した東日本大震災とその被災した人たちで、現地はまだ復興という言葉にはほど遠い状況。拙著はそうしたリアルタイムに再生へと向かおうとしている人、家族を描いたものですが、まだ途上の段階に取材対象者がいるのに、果たして栄えある賞を受賞してよいのだろうか──。そう考えたのです。
 もう一つ言えば、かりに受賞したということを現地の人たちがどう受け取るか、という疑問もありました。描かせてもらった家族は本当にいい人ばかりでしたが、自分たちが描かれたにもかかわらず、書き手ばかり褒められるのは、どうなのか──。そう思われても決して否定できなかったからです。もちろんそんな方がいたわけでもないし、それはこちらの勝手な邪推でしかありませんが、おかしなことでよい関係を失いたくないという思いはありました。

 3月下旬から4月上旬にかけて、拙著で描いた東北の9家族25人と一緒にスイスに行く機会があったのですが(本当に楽しく、よい旅でした!)、そこでも大宅賞候補になったことは一言も口にしませんでした。本で描いたのは彼らのことであるにしても、賞自体は直接関係のないことです。であるなら、語ってもしょうがない。
 また、計4作品の候補作が並んだ時点で、「ああ、これは自分はないな」と思っていたのも事実です。増田さんの作品は昨年からノンフィクションでは飛び抜けて売れており、また本好きの友人も「血の涙を流したから読め」というくらいの高い評判。ほぼ増田さんの作で間違いないだろうと思えた。
 そんなこともあり、大宅賞選考日には京都大学准教授(当時)の中野剛志さんとある編集者との飲み会を入れており、日にちの変更もしていなかったほどでした。まず自分はないだろうという気持ちがあり、その裏側には「かりに受賞してしまったら、どうしようか」という気持ちがありました。
 ところが、その飲み会の少し前に日本文学振興会の方がかけてきた電話は、思わぬ言い方をしたのでした。
「森さん、おめでとうございます! 大宅賞受賞が決まりました! ただ、ちょっと。ちょっと待ってください。今回はすこし特殊なかたちです」
 ──えっ、なんでしょうか?(ドキドキ)
「今回、候補としては『「つなみ」の子どもたち』でした。ですが、選考委員会で作文集の『つなみ』も一緒にしてはどうかという話があがり、そこで全員一致で<森健と被災地の子どもたち>という共同受賞というかたちになったんです。この賞では異例のことで初めての形式です。これでお受けいただけますか?」
 こちらこそ、ぎゃーっ!と叫びたい気持ちでした。
 想定外のことでしたが、東北の子どもたちが一緒に受賞ということで、まさに本望とも言えるかたちになった。大きな声で振興会の方に「それはもうよろこんで!」と返し、近くにいた担当編集者と喜んだのでした。

 まもなく足を運んだ選考発表の会見では、選考委員の猪瀬直樹氏の弁によれば、4作品のうち、最初に拙著が俎上にあがり、第一候補となったとのことでした。
 震災後の家族を描いた作品として抑制的な描写でよいという意見が占めたと。ただ、一方で、本文に引いたような子どもの作文をもっと読みたい気持ちも起きるのに、引用数が限られており、その点はあまりに抑制的すぎるのではないか、という意見もあったと。その議論の中、(今度は猪瀬直樹氏に代わって関川夏央氏が「猪瀬さんじゃ言いにくいでしょ」と説明したところによると)猪瀬氏がかばんから作文集『つなみ』を取り出して、「せっかくだったら、これも加えてはどうだろう」と助言してくれたとのこと。この震災を伝える意味として、子どもの生の声=作文があって、単著も生きる、要するに両者はセットで考えるべきではないか、と話が進んだとのことでした。

 その後聞いた話で、選考段階で拙著に関する意見で印象深いものもありました。
 いわゆる大宅賞的なノンフィクションの王道は過去の話の掘り起こしが主流。過去の話を掘り返していくのは、書き手がある仮説をもち、そこに対して取材を進めていくことで意外な事実を発見していくのが妙味なのだが、見方を変えれば、それはある種の予定調和でもある。それに対し、本作はまさにリアルタイムの現在を扱っていること、そして、リアルタイムであるがゆえに、先の見えない(どういう話に転がるかわからない)取材をやり通したという点でよかったという指摘でした。
 それは、自分としてもそう指摘されて「そういえばそうだったな」と腑に落ちるところがありました。ある程度の予測(落とし所)をもって取材をして(悪く言うと予定調和になる)ノンフィクションと違い、本作は対象者の状況(物理的、心理的)が転々と変わる様子を追いながら原稿にしていく。それは災害時ならではのドキュメントだったわけですが、こういう取り組みは近年なかったと。それは聞いた自分のほうが、なるほどと思えた視点でした。

 あの震災は全メディアが全精力を傾けた事象でした。人も物量も投入し、文字通り必死に取材活動を行った。書籍だけでも震災以来1年間で数百冊が刊行されました。その中で、拙著と子どもたちの作文集が栄えある賞に選ばれたのは、本当に光栄です。
 しかも、今回主催の日本文学振興会は太っ腹の対応をしてくれました。
 東京での通常の贈賞式は6月22日(金)帝国ホテルで18時からですが、もうひとつ東北の子どもたちのために仙台でも開いてくれることになったのです。そちらは7月8日(日)ウェスティンホテル仙台で14時から。
 すでに多くのお母さんやお父さんから「何着ていけばいいんですか?」とか「おばあちゃんなど、家族全員で行っていいんかい?」と問い合わせがあります。何でもいいんじゃないですかね、みんなが楽しめれば。

 作文集『つなみ』が発行されたのは、昨年6月28日でした。あれから1年。
 みんなに会えるのが楽しみです。みんなが晴れがましい顔をしていればいいなと思っています。

 それにあわせるように、作文集『つなみ』はムックではなく、あらためて書籍になりました。
 福島編が入り、30人の福島の子どもたちの作文などがあらたに収録されたものです。
 この件、別投稿で記載します。
『つなみ 被災地の子どもたちの作文集』(完全版)

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新刊『「つなみ」の子どもたち』

2011年12月07日 · 未分類

「つなみ」の子どもたち
 新刊が出ました。『「つなみ」の子どもたち』
『つなみ 被災地の子ども80人の作文集』の取材で出会った家族のうち、10組の家族の7ヶ月間の過程を追ったものです。帯に「喪失と再生のドキュメント」と書かれてますが、まさにそんなドキュメントです。
「震災」「被災者」とひと括りにされると見えないものがあります。それぞれの町でいろんな暮らしや家族があって、当然ながら、そこには土地の歴史もあれば、家族自体の歴史もあります。
 なぜ彼らが被災してつらいのか、なぜその土地から移らないのか、なぜそこで暮らそうとするのか。被災していない人にはわかりにくい疑問でしょうが、そんな問いに対する答えも、毎月彼らに会って長時間の話を聞く中でぼんやり浮かんできたように思います。
 正直に言って、話を聞く側も精神的にけっして楽ではない取材でした。親をなくしたり、配偶者をなくしたり、買ったばかりの家が流されたり。その人がどんな人で、どんな風に暮らしてきて、将来こんな暮らしを送ろうと考えていて、と深い話を聞けば聞くほど、こちらも抱えるものが大きくなったからです。しかも、その部屋の窓の向こうに拡がる現実とどう折り合いをつけるのかもわからない。
 それでも、その厳しさをなんとか受け入れて(まだ受け入れていない人もいる)、乗り越えていこうとする。その過程を、(取材する中で見えてきた)いくつかのテーマに絞って追ってきたものです。
 被災者は何十万人といるのでここで紹介するのは、ほんのわずかな話でしかありません。でも、読んでもらえれば、なぜ僕がこの家族の過程を紹介したいと思ったのか、きっとわかってくれるかと思います。
 ぜひ手にとって読んでいただければと思っています。そして、まだ終わっていない被災の現実、そこで前を向こうとしている人たちがいることに、すこし思いを馳せていただければと願っています。
 よろしくお願いいたします。

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「つなみ 被災地のこども80人の作文集」

2011年07月09日 · 未分類

 すっかり遅くなってしまいましたが、ご連絡です。
 僕がこの数ヶ月力を入れてきた本、というか、雑誌が出ました。といっても、書き手は僕ではありません。岩手、宮城の保育園児、小学生、中学生、高校生の子どもたちです。
『つなみ 被災地のこども80人の作文集』
 月刊『文藝春秋』の臨時増刊号です。
つなみ画像
 すでに多数のメディアに紹介されているほか、たいへんな反響をいただいています。

 震災以来、宮城と岩手の被災地へは6回足を運んできましたが、そこで一番注力していたのが子どもたちへの作文の依頼、そして、またそのご家族への取材でした。
 その結果、計86名の子どもたちに作文を書いていただくことができ、本書にまとめることができました。

 震災からしばらくして、子どもに関する取材をしようとしていました。
 きっかけは2段階あります。
 最初のきっかけは震災から1週間目に足を運んだ大槌町での風景でした。ある小学校の避難所で、災害担当の人から話を聞いているとき、子どもが後ろではしゃいで走り回っていたのですが、それを見た古老が「うるさい! 静かにしなさい!」と怒鳴りつけていたのです。小学校低学年ほどの子どもでしたが、その叱責をうけて、彼らはシンとなってしまった。まだ震災から日も浅く、誰もがイライラしているような時期だったので、仕方がないと言えば仕方がないとも言えたのですが、「それにしても……」という感慨もまた拭えませんでした。
 ところが、避難所の外に出ると、ボールなどで元気に遊んでいる子どもたちもいるわけです。たいへんな体験をしている子も少なくないだろうに、それでも子どもは遊ぶんだよな、子どもは強いな……と、そんなぼんやりした感慨をもっていました。そこで戻ってから、震災を体験した子どもの取材を考えました。すでに震災孤児の話なども上がりつつあり、当初はそちらで取材を進めようと考えていたのです。
 そんな時、資料で吉村昭氏の『三陸海岸大津波』を読みました。
 同書は明治29年、昭和8年、昭和29年という3度の津波を経験している三陸の地域を吉村氏が取材し、まとめた本ですが、その本の核ともいうべき部分が「子供の眼」という章でした。この章は昭和8年の大津波に際して、田老町(現宮古市田老)の尋常高等小学校の子供たちが寄せた作文を収録したものです。
<山で、つなみを見ました。
 白いけむりのようで、おっかない音がきこえました。火じもあって、みんながなきました。>
 そんな幼い文章がそこには複数ありました。
 どれも表現は拙いものです。けれど、そこに綴られた痛ましさ、悲しさはきっちりとした大人の言葉をはるかに越えて伝わるものでした。拙いがゆえに、津波のおそろしさ、そこで起きた悲劇が実感をもっていたのです。
 今回の震災に際して、もう二度と悲劇を繰り返さないためには、また、将来にわたってこの惨事を伝えていくのに、何ができるのか──。
 そう考えたとき、まさに子どもの作文こそ有効ではないかと思いました。
 そうして、名取市、仙台市、石巻市を回りだしたのが4月の半ばでした。
 
 ためらいがなかったわけではありません。震災から日が浅い時期でもあり、心のケアという点で触れないほうがいいという考えもあるだろうと思いました。一方で、複数の専門家にうかがったところ、甚大な災害に際して、語ること、伝えることでそのストレスを軽減するという意見もありました。
 そこで、避難所を回るときには無理強いはせず、保護者とともに趣旨を説明し、「やってもいい」「書きたい」という子にお願いすることにしました。

 結果的には、作文を書いてくれた子は86人にも達しました。これほど多くの子が書いてくれるとは、私にとっても驚きでした。
 依頼したのはシンプルで、3月11日をどこでどのように過ごしたか、また、その後の月日をどのように過ごしてきたかということ。返ってきた作文には、においや音といった五感が駆使され、その時の様子がありありとわかるようなものが多数ありました。
 しかし、子どもたちが綴ったものはそれだけではありません。両親や祖父母、兄弟など家族への思い、あるいは、避難所で自分たちを支援してくれた自衛隊や医療関係者などへの感謝の念、そして復興への強い思い……。それらはすべて自分の意志で書いたものでした(多くの親は「最初に読んだら子どもにわるいから」と読んでいませんでした)。そこに私は驚き、また、希望を覚えました。
 また、引き受けてくれた子は真面目に接してくれた子がほとんどでした。下書きを経て清書してくれた子も多く、受け取りに行った際、「途中だから、ちょっと待ってて」と言った子は避難所で腹ばいになりながら、数枚の下書き原稿用紙と格闘しているところでした。
 この作文は義務でもなく、学校の宿題でもありません。いわば、途中でやめてもかまわなかったものです(実際、途中で書くのを忘れたり、やめてしまったという子も十人余りいました)。けれども、大半の子どもたちはしっかりとこちらの思いを受けとめ、書いてくれた。その事実自体に、子どもたちの「伝えたい」という思いを感じたりもするのです。
 本書は、活字もありますが、原稿用紙をそのまま撮影しているページも少なくありません。鉛筆の質感からは彼らが書いていたときの思いや息づかいまで伝わるものです。ぜひお手にとっていただき、じっくりと読んでいただければと思います。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。

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2011_03_28「3.11後の日本:新しいエネルギーへ」

2011年04月01日 · 未分類

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 森 健の『ニュースを解く読書』
     — Dive Into Books with News — 2011/03/28 vol.16

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<< CONTENTS >>
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【1】今週のテーマ >> 「3.11後の日本:新しいエネルギーへ」
【2】今週の1冊    >>『ヨーロッパ環境対策最前線』片野優
  <書名・著者・出版社・定価・amazonリンク>
  <版元による「内容紹介」の引用>
  <目次>
【3】付記
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【1】今週のテーマ 「3.11後の日本:新しいエネルギーへ」
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 ヒロシマ、ナガサキ。まさかこの後にもう一つ別の県の名が世界に知れ渡
るとは思いもしなかった。いまやフクシマは世界が注目する土地となってし
まった。世界に例のない三度目の被爆。放射性物質はいまなお放出を続けて
いる。米、仏、中、韓ほか、世界のトップレベルの技術者、研究者、事業者
が日本に集まって、フクシマの収束に挑戦している。

 燃料棒の溶融やそれにともなうセシウムの放出も近隣で確認されている。
まさに一刻の猶予もならぬ事態だ。だが、直近の事態はと言えば、格納容器
への水の注入どころか、大量の放射性物質を含む汚染された水が作業用トン
ネル(トレンチ)に貯まっていることが判明。2号機のトレンチには6000立
方メートル、1号機と3号機、さらに4号機の地下にも1万トンあまりが確認
された。それを除去せねば事態は進まず、3月末時点の現在はその除去に作業
チームは注力することになっている。

 いずれにしても、フクシマの封じ込め作業は長期化する。元原子力安全委
員会の松浦祥次郎も「今回は汚染低減作業に非常に手間がかかる。廃炉はお
そらく20~30年では終わらない」と明言した。
 汚染水が除去できたとして、その次には注水と冷却作業の正常化があり、
それが数十年続けられたのちに、コンクリートで「石棺」づけにする作業と
なる。そこに行くまでが数十年ということだ。

 2号前にも記したことだが、もはや放射性物質の拡散は(少なくとも)関
東および東北にとっては日常的なものとなってしまった。これは確定的なこ
とだ。あとは、その被害がどの程度増えるか減るかという増減の規模の問題
と最終的な石棺づけがいつごろになるかという時間の問題だ。
 とくにセシウムが降下した地域については、居住はもちろん、農業など生
産活動もおよそ半世紀は使用できなくなる。いまなお福島原発の近隣では、
高齢者や農家など動くに動けない1万人近い人たちが居残っているとされる
が、強制退去にまでは至っていない。この人たちも移動までは時間の問題だ
ろう。

 おそらく原発の作業が一服ついたあとは、周辺区域(おそらく30キロ圏
内)は出はいりができなくなり、双葉町と大熊町は自治体がなくなるだろう。
すでに三陸沿岸の被災者は十数万人単位で他の都道府県に一時的退避をして
いるが、その地域にも戻ることができない人たちも増えそうだ。宮城などは
激しい地盤沈下も起きており、そこに大量の海水の浸水が残っている。戻る
に戻れないばかりか遺体の収容さえ終わっていない。

 カトリーナで水没した米国、豪雨と洪水で水没したドイツなどいくつかの
例はあるが、自然災害でここまでのレベルで被害を被った国は先進国では初
だろう。なによりも原発でこうした被害を被った先進国もないからだ。

 復興については、自治体、企業(工場)、住民、などさまざまなレイヤー
があるが、ひとつエネルギーということだけに限れば、もはや原発を増やそ
うと考える日本人はいまは皆無だろう。
 原発をなくせという思いもしばしば見聞きするが、停止から廃炉にするに
は、やはり時間がかかることはフクシマと変わらない。1998年に廃炉を決
定した東海村にある日本原子力発電東海発電所は2021年まで段階的に進め
ているとされる。もちろんその間も放射線は微量でも出続けており、廃炉を
決定したからそこで終わりというわけではないのだ。

 そこで今回からは「3.11後の日本」として、あらたにシリーズをはじめ
ようと思う。
 復興、復興と早足で進んでいく時勢に対し、どこまで歩調をあわせること
ができるのかわからない。また、複数のレイヤーが同時に動いている中で、
提言まで含めてどこまでできるのかは不明だ。この国難に際して、報道の主
軸はテレビとネットに移っており、新聞はより専門的な話か生活ベースの話
が増え、雑誌は総括的な話か提言、あるいは大手メディアに掲載されない裏
話的な方向で活路を見出している。
 そういう中で、どこまで生なレポートや有効的な提言を出せるのか、心も
とないのが正直な感想だ。だが、それでも少しでも有効な情報を出していけ
ればと思っている。

 いまの事態を受け止めて、前に進むには2つの作業に大別される。
 ひとつは今回の大規模災害が起きてしまったことの検証。どちらかと言え
ば、後ろ向きな作業だが、それなしに適切で建設的な議論もできないのも事
実だろう。
 もう一つは、それらの失敗や間違いを踏まえて、新しい日本を構築するた
めの処方や対策の提示だ。「復興」とただ叫ぶののは簡単だが、たとえば、
沿岸部の地域を以前の同じにするにはお金も時間もかかりすぎるし、また、
何の工夫もないのではまた同じ失敗を繰り返すに過ぎない。であるなら、あ
らたな社会を設計するに際して、新しい日本をつくらねばならない。実際、
小さな自治体ではかりに住民が戻るとしてもその数は減るだろうし、そうな
ったときの税収ではインフラはもちろん、医療も商業も教育も立ちゆかない
のは自明だ。ただでさえ、少子高齢化で人が少なくなるのに、すべてが破壊
されたところで組み直しをするのであれば、より合理的で建設的で妥当性の
ある、そして持続可能な社会をつくらねばならない。
 実際には、この有事のような状況の中、前向きのも後ろ向きのも同時に進
んでいくだろうし、そうでなくてはならない。また、そうした観点を政府も
もっているだろうが(もっていなければ困る)、こちらもできる範囲で情報
を出したり、検証したりしていきたい。

※以下はfoomiiをお読みください。

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